東日本大震災 :【被災地の今】 宮城県石巻市より嬉しいご報告(2012.1.13)

2011年7月12日(火)~16日(土)まで弊社社員14名がボランティア活動を行った宮城県石巻市の小川様より、
嬉しいご報告が届きました。


小川様は、漁業(牡蠣等)を営まれています。
ボランティア当時、「今年は牡蠣は駄目だろうな!」と仰っていましたが

「諦めていた牡蠣が獲れました!」と嬉しい報告をいただきました!!

また、美味しい牡蠣とともに石巻の震災前後の航空写真を送っていただきました。


ボランティアを行った宮城県石巻市長面(ながづら)湾で獲れた牡蠣
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ぷりっぷりの牡蠣は絶品でした!カキフライにして頂きました。
小川様ご馳走様でした&ありがとうございました!

石巻ボランティア参加メンバーの喜びの笑顔
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(絶品牡蠣を食べる緒方と航空写真を手に気合の入る大塚)


石巻市 震災前後の航空写真
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震災前                        震災後

ボランティアを通じてできた、小川様との「縁」。大変嬉しく思います。

名古屋支店のブログでも詳しくご紹介しております *クリック*



ボランティアをさせていただいた宮城県石巻市の長面(ながづら)地区は、被害の甚大であった地域でした。

被災地から届いた「諦めていた牡蠣が獲れた」という嬉しい近況報告。
嬉しい近況報告は、ボランティアに参加したメンバーだけでなく、アイジーの活力になりました。


アイジーコンサルティングでは、引き続き東北の復興支援を行っていきます。

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*石巻市ボランティアレポートへ*

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東日本大震災 :宮城県名取市にて義援金の目録&ボランティア報告

アイジーコンサルティングでは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地復興支援を行うため、ボランティア派遣・義援金寄付を行ってきました。

弊社を代表し、常務取締役佐藤が、名取市役所を表敬訪問し、太田名取市副市長に義援金の目録とボランティア活動報告を行いました。

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弊社では宮城県名取市に対して、地震発生7日後の3月18日に、会社から義援金100万円と従業員から集めた義援金34万9738円を寄附いたしました。さらに、4~5月に実施した「東北応援プロジェクト」の売上金の一部173万7000円を8月1日に寄附させていただきました。

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表敬訪問の様子はこちらのブログをご覧下さい

アイジーコンサルティングでは、今後とも復興支援を行っていきます。

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東日本大震災 :東日本大震災 災害ボランティア派遣 累計参加人数(9月20日現在)

3月11日の東日本大震災を受けてアイジーコンサルティングでは、被災地の復興支援としてボランティア活動を行っております。

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第6弾 石巻市ボランティアレポート(7月12日~16日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年8月10日時点で約20,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は8万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。


災害ボランティア 宮城県石巻市での活動(第9陣)

【災害ボランティア概要】
日程:7月12日(火)~16日(土) 人数:14名 場所:宮城県石巻市  


7月12日(火)~16日(土)の5日間、アイジーコンサルティングの社員14名が宮城県石巻市にて災害ボランティア活動に参加しました。私たちが活動した北上川河口の長面(ながづら)地区・弘象(ひろぞう)地区は、今回の震災の中でも被害が甚大であった地域です。震災から4ヶ月経った今でもガス・水道・電気のライフラインが復旧していません。現地は、地図とは全く違う地形に変っており、長面地区は田園と集落だったはずの場所は海水に浸っています。弘象地区は地盤沈下により、震災当時は陸の孤島化していた地域です。震災後3日間は救助がなく、被災にあった他の家にある食料を皆で分け合ったり、自動販売機を壊して飲料を分け合ったりと生きるための行動をとったそうです。もし自分が同じ立場だったら考えると答えは出ず、ただただ言葉が出ませんでした。

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石巻市長面地区にて 泥の掻き出し

6-3.jpg今回は、3日間とも同じお宅でのボランティア活動でした。津波により家の周辺にある側溝に溜まってしまった泥の掻き出し作業を行いました。泥の中にはガラスの破片や食料など、様々な物が混ざっていました。悪臭、暑さ、水を含んだ泥の重さは辛いものがありましたが、私たちを元気に明るく迎えてくれた依頼者さんのためだと思うと使命感にかられ、顔に飛び散る泥も気にならないくらい熱中していました。ニュースでも問題視されているハエも大量発生しています。昼食時、食料に寄り付いてきましたが、3日目にはそれすら気にならなくなっていました。 側溝が綺麗になったら、次は床下の泥出し作業です。床下には、水分をよく含んだ泥が一面に溜まっていました。土を土のう袋に入れるのですが、水が染み出てきて重く、運ぶ作業が重労働でした。床板の上げられない場所は、床下に潜り泥を掻き出しました。なんとか3日間ですべての泥を出すことができました。


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土のう袋を何枚使用したか分からないくらい、土のうが高く山積みとなりました。土のう袋は庭に積み上げられ、道路には瓦礫の山がある。そんな光景がいたるところにありました。いつ、どこへ処分してもらえるのか。その気配は活動した3日間では見ることができませんでした。


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石巻市長面地区にて 陸に打ち上げられた船を運ぶ

他のボランティアの方々と合同で陸に打ち上げられた船を海に戻す作業を行いました。津波で打ち上げられるのは一瞬なのに、一隻の船を300m運ぶのは成人男性20名以上でやっとのことでした。作業後は、握力がなくなるほど力が必要な作業で、この時にも自然の驚異を思い知らされました。

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石巻市立大川小学校視察

メディアで何度も取り上げてきた全校生徒108人中、74名の児童が死亡・行方不明という悲劇が起きた場所です。未だ6名の児童と1名の職員の方が行方不明で自衛隊の方々が捜索しています。渡り廊下がねじり倒れ、壁のコンクリートも破壊され、爆弾が投げ込まれたかのように見えました。

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子供たちの笑顔が響いていた教室も、皆で歌ったであろう校歌の文字もボロボロで見るも無残でした。

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校門の前に慰霊碑(献花台)があり、子供を失った親たちの悲痛な叫びが書かれていました。ちょうど七夕後の時期ということもあり、慰霊碑には笹の葉が飾られていました。短冊には「もう1度子供たちに会いたい!3月10日に戻して下さい」と書かれていました。涙が止まりません。「○○ちゃんがいなくなって100日経ちますが、お母さんは毎日泣いています。」「○○くん、今どこにいますか?一目でもいいから会いたいです。」

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大川小学校では、地震直後に父兄の迎えを待つか、避難をさせるかに迷い、校庭で待機していたようです。また、地域の避難指定場所にもなっており、近隣住民の方も避難されていたとの事。避難マニュアルが無く、決断に時間がかかり、北上川を津波が襲ってきたときには既に時を逸した状態だったようです。「・・・たら」「・・・れば」は通用しませんが、この学校にも防災教育・備えがされていれたら、決断できるリーダーがいたら幼い生命を守る事ができたのではと思うと無念で残念で涙が溢れました。こういった悲劇を二度と起こさないように、或いは再び同じような災害が起こっても被害を最小限に食い止めなければならない。その為には、今回の震災の教訓を風化させないことが私たちに課せられた使命なのだと感じています。

ボランティア活動を通じて感じたこと

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6-18.jpg依頼者さんご家族は、とても温かい方々でした。仮設住宅から毎日来てくれて、たくさんのジュースを買ったもってきてくれました。本当に申し訳ない思いがありました。自分の家がとんでもない状況になっているのに、とても前向きで、逆にこちらが励まされました。3日間作業したお宅は、住めるようになるには少なくとも3年かかります。「地盤沈下により満潮時に冠水してしまうこと、ライフラインの復旧、防災対策、課題は多いです。この地域が昔の面影を取り戻すときが来れば、私たちの活動がその1歩になることを願わずにいられません。依頼者さんは、お会いしてから一度もマイナスな言葉は無く、逆に私たちを励まし気遣ってくれました。明るく元気で、沢山の勇気をもらいました。「絆」が生まれました。復興したら14名でまた訪問したいです。




アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第5弾 名取市ボランティアレポート(5月17日21日、5月24日~28日、6月14日~18日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。


災害ボランティア 宮城県名取市での活動(第5陣~第8陣)

【災害ボランティア概要】
日程:5月17日(火)~21日(土) 人数:4名
   5月24日(火)~28日(土) 人数:8名
   6月14日(火)~18日(土) 人数:8名
   6月21日(火)~25日(土) 人数:8名
場所:宮城県名取市  合計人数:28名


5月17日(火)~21日(土)の5日間に4名、5月24日(火)~28日(土)の5日間に8名、6月14日(火)~18日(土)の5日間に8名、6月21日(火)~25日(土)の5日間に8名、アイジーコンサルティングの社員が宮城県名取市にて災害ボランティア活動に参加しました。名取市は、市内の28%が津波被害に遭っています。また、仙台空港のある地域です。震災から2ヶ月・3ヶ月と経過し、少しずつ復興も進んできました。しかし、まずは優先して道路や一般住宅から瓦礫撤去やボランティアが入るため、田畑にはまだ車や残骸が残ったままの状態です。塩害にあった田畑も早く復旧しないと、5年ほど作物が育たないと言います。まだまだ東北全体の復興には時間がかかります。

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田んぼに放置されたままの車               名取市小塚原地区の被災地

名取市小塚原地区にて 位牌の捜索・ピアノの移動

名刺大の大きさの位牌を床一面、泥に埋まった中から探し出すという依頼内容でした。家の中いっぱいに流れ込んだ土砂を撤去しながら、慎重に位牌を探し出す必要があります。全員が「ここにある!必ず見つけ出す!」と信じて探した結果、午前中に4つの位牌をすべて見つけ出す事ができました。作業前には「ここになかったら諦めます」と話されていた依頼者の方ですが、発見できた事を伝えるとその一瞬で表情が変わり、心から喜んで頂くことができました。その笑顔に私たち全員が嬉しく、また大きな達成感を感じた瞬間でした。今回の依頼者である奥様は、津波が来たときにご主人さんと分かれて逃げられていて、ご主人さんはいまだに行方不明という話しを聞きました。また、農業を営まれていたのですが、津波被害によって農業ができなくなってしまい、住んでいた家も取り壊して他の地域に移られるということでした。私も同じ状況になった場合、これまでと同じようにその地域で住み続けられるのかと考えると、心が痛みます。震災の被害はいまだに続いていると痛感するとともに復興への道のりはまだ先にあることを実感しました。


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名取市小塚原地区にて 庭の片付け作業

当初、敷地内は一面、津波で流されてきた大きな石や塀、木屑、衣服やコンクリートの塊などが土と一緒に埋っている状態でした。 一日かけて鍬や鋤を使って掘り出し、撤去しました。 もとのお庭がどうなっていたのか今では全く分からない状態ですが、掘れば掘るだけ瓦や塀の残骸、木片などが出てきました。 そこでまた畑が出来るように、皆で信じて、力を合わせて撤去活動に取り組みました。皆、黙々と作業を進めます。それしかありません。少しでも誰かのために何かをしてあげたいという気持ちが全員にあったと思います。その活動の最中にひょっこり小さな芽を発見。掘ってみると「アスパラ」でした。奥様に話を聞くと、もともとそこでアスパラを育てていたとのことでした。 津波の猛威にも、塩水にも負けず元気に育っていました。植物の生命力の強さに驚きました。

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津波を耐え抜いたアスパラ

名取市小塚原地区にて ビニールハウス泥だし

カーネーション栽培農家のビニルハウスの泥出し作業を行いました。作業時間は、10時~14時。休憩を除くと実質3時間程度の作業です。ビニールハウスの中での重労働のため、小まめに水分補給をとるようにとの指示がボランティアセンターから出ました。<泥の中からは水産加工物、レコード、カバンなど様々なものが出てきました。流れてビニールハウスの中に溜まっているのがただの泥ではなく、粘土質の物だったので予想以上に大変でしたがとてもやりがいがありました。
依頼者さんは、私たちのために冷たいお茶や梅干・飴を用意してくださっていました。また、お昼には冷えたオレンジも振舞って下さいました。昼休憩中に奥様からお話を聞く事ができました。地震発生後、仙台空港付近の幼稚園へお孫さんを迎えに行くと、幼稚園は危ないから「小学校へ避難しています」との貼紙が。急いで小学校へ向かったところで津波が発生。幼稚園に居たままだったら・・・危なかったとの事。依頼者さんの所有するハウスや田畑はすべて東部道路より東側にあり、すべて津波でダメになってしまったとの事。その事を悔やまれていましたが、命があったので言える話。今は一日も早く復興できるように、やるしかない。カーネーションは名取市の名産品です。来年の作付けに間に合わせるには、6月末までに泥を撤去しなければならなりません。お昼休憩後は、依頼者さんのためにとボランティアメンバー全員で円陣を組み、一致団結し作業に挑みました。疲れたと言葉を発する人は誰もいません。少しでも早く片付けてあげたい。その想いが皆を動かしていました。

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140cmの高さまで津波がきていた                 メンバーで円陣を組み一致団結

名取市内にて 家屋の片付け・壁の解体・床の泥出し

5-9.jpg家の中にあった家具や畳等の撤去、壁の解体、床下の泥だし等、家をスケルトン状態にし、後々リフォームして住むための下準備です。
10時~15時までの作業でしたが、あっと言う間に終わってしまいました。まだまだ活動できる気がしました。「もっとやりたいね」と話していると、ベテランのボランティアさんが、「ボランティアに参加するのは気持ち、活動はボランティア。」ボランティア活動時間が制限されているのは、ずっと継続していくための時間配分だとの事。ボランティア参加者は活動時間だけしか見ていないが、ボランティアセンターを運営している方は、ボランティア参加者が使用した道具等の洗浄・片付け等、まだまだ仕事が山積みなのです。自分たちは短期間しか参加しないのでもっと活動したいと焦るけど、その想いは浅はかで、地域全体での復興支援の視点が欠けていたなと感じました。当初、依頼者さんは家を壊そうとも考えていたようですが、骨組みだけの状態にし、大工さんに直してもらうことに決めたとの事。このお宅がキレイにリフォームされ、安心して住んでもらえると思うと嬉しくなりました。住宅に携わる者として非常にやりがいのある活動でした。


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床の解体・釘抜き・泥だし                 2mの高さまで津波がきていた

ボランティア活動を通じて感じたこと

被災された方々は、ボランティア活動をする私たちを気遣い、労いの言葉をかけてくださいます。被災された方の話では、震災直後は「やらなきゃ」と気が張っていましたが、今は虚脱感に見舞われる被災者の方が多いとのこと。震災直後から頑張りすぎてきた方々。「頑張れ」という言葉はいえません。どんなに荒んだ風景を見るよりも、被災された方々の話を聞くほうが何十倍も辛く悲しい。変わることのできない苦しみ。自分の置かれている環境がどれほど幸せなのか、痛感します。「いま、わたしたちにできること。」ボランティア活動だけでなく、義援金の寄付、この現状を伝えていく事。時が経てば東日本大震災の記憶が薄れていくと思います。しかし、東北の被災地の方々の戦いはここからです。長い復興支援の必要性を感じました。自分たちにできることは些細なことかもしれません。「いま、わたしたちにできること」実践していきます。


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第5陣 参加メンバー                       第6陣 参加メンバー

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第7陣 参加メンバー                       第8陣 参加メンバー


アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第4弾 岩沼市・亘理町 泥だしボランティア活動レポート(5月10日~14日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。


5月10日(火)~14(土)5日間

【災害ボランティア概要】 日程:5月10日(火)~14日(土) 場所:宮城県亘理町  人数:7名


5月10日(火)から14日(土)の5日間、アイジーコンサルティグの社員7名が宮城県亘理町にて災害ボランティア活動に参加しました。移動日となる初日は現地到着後、仙台空港へ視察に行きました。空港へ行く道中、突然景色が変わり、まるで戦後の荒地の様な状態に。明日からの活動で被災された方々に、何と言葉を掛ければよいのか、言葉が見つかりません。視察後は、亘理町ボランティアセンターへ。スタッフの方の話では、震災直後は毎日800名以上来ていたボランティアも今では100名程度に減っているとの事。それでも来てもらえることが嬉しいと言っていました。

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壁一面に激励のメッセージが

5月11日(水) 現地2日目(ボランティア1日目) 亘理町荒浜地区にて活動

4-3.jpg津波被害の激しかった荒浜地区にて活動しました。側溝にたまったヘドロの撤去を行いました。立ち入り制限区域での活動で、地震が来たら即非難するようにとラジオを持たされました。現場周辺は全ての家が津波被害に遭っています。依頼宅周辺は下水が機能していないため水はけが悪く、ヘドロの状態で悪臭が漂っていました。依頼者の家の外壁には2.5mくらいの高さまで津波が来た形跡があります。庭には隣の家の屋根の残骸が流れてきたままの状態。震災直後は車も家に突っ込んでいたそうです。キレイになった側溝を見て、喜んでいただけたので嬉しかったです。今日で震災から2ヶ月です。地震があった午後2時46分に災害放送からのアナウンスに合わせて全員で黙祷を捧げました。


5月12日(木) 現地3日目(ボランティア2日目) 亘理町荒浜地区にて活動

昨日と同じ荒浜地区にて床下・庭の泥出し作業と瓦礫の撤去作業を行いました。初めはボランティアに来た我々を多少警戒されていた依頼者の方も、我々の床下の泥かき作業風景を見て、とても喜んでいただき、打ち解けることができました。私たちの得意分野である床下作業は午前中で完了。午後からは庭の泥だしです。しかし、ゴミの量が多く、半日では片付きません。最後まで私たちの手ででキレイにしたいと思い、明日も作業を継続させていただくことにしました。

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床下の泥だし作業                      泥だし作業完了!

5月13日(金) 現地4日目(ボランティア3日目) 亘理町荒浜地区にて活動

4-6.jpg昨日の依頼者さんのお宅で継続して活動を行いました。昨日、室内から出した泥と敷地内に出された瓦礫の撤去作業です。一輪車3台をフル稼働して瓦礫を20mほど離れた場所まで運びます。量がおびただしく、昨晩の雨の影響で泥の重みが増していました。お昼になると、仕事で不在のはずの奥様が、休憩の合間を見て、ご友人と一緒に手作りのお弁当を差し入れてくださいました。心温まる気遣いに感激しました。味は、言うまでもなく最高に美味しかったです。私たちが名古屋市から来たとご友人の方に伝えると、「震災2日後に名古屋ナンバーの消防車48台がサイレンを鳴らしながら駆けつけてくれ、感動の涙が出た。その光景は絶対に忘れない。」と涙ながらに語ってくださいました。そして、最後のお別れのとき「握手してください」と我々7名ひとりずつと握手をしてくださり、涙がこみ上げてきました。微力ながら力になれて嬉しかったです。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

4-9.jpg今回、ボランティア活動をした依頼者の方々は、身内やご近所の方が亡くなられて辛い思いをされています。第一波、第二波の後に家に荷物を取りに帰り、第三波で津波にのみこまれてしまった方。津波発生時に2階にいれば助かったというケースもたくさんあったそうです。「2ヶ月たった今もこれが現実だと思えない。まさかこんなことになるなんて。戦後の焼け野原と変わらない状況で、どうすればいいか分からない。」切実に話されていました。そんな最中であっても、私たちを気遣い、差し入れまでしてくださったのです。こちらが感激し、勇気付けられました。被災された方々の強さ、人と人との「縁」を感じずにはいられませんでした。まだまだ被災地では人手が足りません。今回の活動で、ひとりでは到底進まない作業もみんなで団結すれば躍進できると確信しました。今回活動した荒浜地区は一般車両は通行止めで車が通行できるよう自衛隊が整備していて、住宅や敷地内の復興はほぼ手付かずです。一刻も早い復興作業の必要性を感じます。

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第3弾 気仙沼市 炊き出しボランティア活動レポート(5月9日~12日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。

5月9日(月)~12(木)4日間

【災害ボランティア概要】 日程:5月9日(月)~12日(木) 場所:宮城県気仙沼市  人数:4名)


5月9日(月)から12日(木)の4日間、アイジーコンサルティグの社員4名が宮城県気仙沼市にて被災地でのボランティア活動に参加しました。今回は、公益社団法人 日本国際民間協力会(通称NICCO)の主催するボランティアに参加し、NICCOの一員として気仙沼市の市民文化会館での炊き出しボランティアに参加しました。気仙沼市の被害は甚大でした。瓦礫の山、倒壊した家屋、家に乗り上げた船、そして街全体が潮臭く、泥と生ものが混ざったような異臭が立ち込め、思わず顔をしかめてしまう程でした

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気仙沼市被害状況

5月9日(月) 現地1日目(ボランティア初日) 気仙沼市にて活動

3-3.jpg炊き出しはNICCOの一員として全国から集まった学生と一緒に行いました。一週間分の献立があり、それに沿って調理します。調理の指示は気仙沼で被災した調理師さん3名とNICCOの担当者です。初日は夕食からの手伝いでした。ご飯の準備は約2時間前から始まります。今日は、210食分の炊き出しを行いました。おにぎりとお味噌汁は自衛隊の方がつくっています。献立は焼き鳥2本とサラダ(レタス・トマト1/8カット、りんご、パイナップル)です。館内放送で食事の用意が整った事を伝えると、被災者の方が何人か来て配っていました。配膳担当が決まっているようで、スムーズに配膳していました。炊き出し後、エプロンをつけた私たちに「ありがとう。ご苦労様」と声をかけてくれ、大変嬉しかったです。


5月10日(火) 現地2日目(ボランティア2日目) 気仙沼市にて活動

本日も210食分の炊き出しです。昼食はウインナー3本とサラダ、夕食は肉じゃがとフルーツポンチ(自治体から提供)を作りました。昨日はぎこちなかったメンバー間の会話も増え、コミュニケーションを図りながら調理ができました。指示を待つだけでなく自発的に調理を行えるようにもなってきました。炊き出しはスムーズですが、被災者の方とのコミュニケーションを取ることはできません。避難所は一見、明るく感じますが、一歩中に足を踏み入れると独特な雰囲気があり、気軽に声を掛けることすらままなりません。ダンボール1枚隔てた先には他人がいる。それが常時続いている事で多大なストレスを被災者の皆さんが抱えているのだと思い知りました。

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炊き出し風景                        配膳前の肉じゃが

5月11日(水) 現地3日目(ボランティア3日目) 気仙沼市にて活動

3-6.jpg昼食はマカロニサラダ、夕食は麻婆豆腐を作りました。本日より100食分追加となり、310食分の炊き出しを行いました。気仙沼市民会館の隣に気仙沼中学校と気仙沼小学校があります。中学校は教室が、小学校は体育館が避難所です。中学校と小学校に避難している方々のごはんは、おかずは無く、自衛隊が作るおにぎりと味噌汁のみです。ボランティアが入っておかずを作らない限り、基本的にはおかずはないのです。自衛隊が見かねておかずを作ってくれていますが中学校、小学校と交互に行うため全員に行渡りません。そこで、私たちが作ることに。調理師の方によると500食位までなら手間は同じだそうです。休憩時間に支援物資の野菜を整理しました。ダンボールに20箱程あったレタスやネギは、ほぼ腐敗しており、分別した結果、1/3程度しか使えるものはありませんでした。ニュースで報道されている「支援物資が溢れている」の意味を痛感しました。また、炊き出しの拡大の為に小学校の調理室を使いたいとボランティア団体が要請しているようですが、教育委員会の許可がおりず使えないどころか、鍋すら貸して頂けないといった現場でのトラブルも頻発しています。NICCOスタッフが日々調整していますが、課題は山積みです。今日は小学校にも配給するという事で、午前午後と避難所の方が1名ずつ手伝いに来て下さいました。私たちが静岡から来たと伝えると、「あら~気仙沼の人かと思いました。遠いところありがとうございます」と笑顔で言ってくれました。夕食の麻婆豆腐が大分余ったので、避難所の方におかわりを呼びかけると、嬉しそうに「おいしいからまた、もらいに来たよ」と来てくれました。日常の些細な事に喜びを感じて生活してくれていることに少し安心しました。


避難所の生活・様子

3-7.jpg避難所の方は今ある現状を受け入れ、淡々と生活している印象です。ごはんができればいつもの流れで配膳し、ごはんを食べ、歯をみがき、駐車場にある自衛隊が仮設したお風呂に入ります。自衛隊の仮設風呂は、時間帯で男性用・女性用と変わります。中を見させていただきましたが、20人くらいが同時に入れるくらいの大きい浴槽が2つあり、更衣室もあります。シャンプー・コンディショナー・ボディーソープ完備です。女性自衛官にどこから来たのか聞いたところ、福岡から来たとのこと。30時間かけてきたようです。女性自衛官はどんな仕事をするのか聞いたところ、瓦礫の撤去や見張り等、男性と同じ仕事をするそうです

ボランティアの休憩時間に小学校の教師をしている姉から預かった子どもたちの手紙を渡そうと、NICCO担当者さんに話をし、避難所となっている気仙沼会館の館長さんに合わせていただきました。私が静岡から来たこと、姉の小学校の生徒たちからの手紙を預かったことを伝え、手紙を渡しました。「ありがとう。何年生ですが?わぁ嬉しいです。」と喜んでくださいました。「返事を書きたいので先生の名前を教えて」と言われました。市民会館の廊下や玄関には全国から送られてきた手紙や寄せ書きが多く貼ってあります。子どもたちの想いが少しでも伝わると良いなと思います。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

ボランティアの合間に陸前高田市へも行きました。陸前高田市に着くと家がずっと先までなく、海が見えないくらい遠い位置なのに津波で流されています。残っている家屋には「取り壊してください 主人」との貼り紙も。「津波さえこなければ・・・」現地の方々は皆、おっしゃいます。地震から2ヶ月が経ちますが、まだまだ復旧作業には時間がかかりそうです。日が経つにつれ泥や魚の死骸等からの悪臭もきつくなってきています。気仙沼市・陸前高田市は死者・行方不明者の多い地域です。身内・ご友人を亡くされている方々の心労は計り知れません。震災当時のお話をしてくださった方は、気持ちの整理がついていて、前向きな方々です。しかし、まだその状況になれない方々がたくさんいます。一緒に炊き出しを手伝ってくれた被災者の方は、「何かしていないと夜も眠れないから炊き出しをやる」と。自らを奮い立たせているのです。返す言葉がありませんでした。気仙沼市・陸前高田市での長期的な支援の必要性を感じました。

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津波の時間で止まっている                気仙沼ボランティア参加メンバ


アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第2弾 亘理町ボランティア活動レポート(4月19日~23日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します

4月19日(火)~23(土)5日間

【災害ボランティア概要】 日程:4月19日(火)~23日(土)   場所:宮城県亘理町  人数:8名


4月19日(火)から23日(土)の5日間、アイジーコンサルティグの社員8名が第2陣として被災地でのボランティア活動に参加しました。みぞれ交じりの雪がチラつき、東北地方はまだ寒かったです。初日は、現地到着後に時間があったため、仙台空港近くの被災地へ。震災後1ヶ月が過ぎても報道で見たのとあまり変わらない状況が目の前にあることに言葉を失いました。海岸沿いの地域の被害状況は深刻です。逆に、海岸から数キロ離れた場所では店舗も再開しており、復興が進んでいました。

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仙台空港付近の被災地                    亘理町ボランティアセンター

4月20日(水) 現地2日目(ボランティア初日) 亘理町にて活動

2-3.jpgボランティア初日は、岐阜大学の教授と生徒たち5名との作業でした。「自分はお金で支援することは出来ないが、体力はあり余っているので、体力で支援したい。」という想いでボランティアに参加されたそうです。岐阜大学の5名と一緒に、津波により1.2mくらいまで浸水したお宅の床下ヘドロ撤去、清掃等を行いました。床下へ入って泥の撤去を行った後、外周の泥すくいを行いました。和室荒板も水洗いし、乾かしました。私たちの考えでは、このように乾かすと板が反ってしまったり傷むのではないかと思いその旨を依頼者に伝えたのですが、どうぜ一度浸かっているので綺麗にしてほしいと。依頼者の気持ちに応えることにしました。奥様の話では、地震発生時、津波が来るから高台に逃げる際、隣のおばあちゃんも誘ったが、行こうとせず、残念ながらお亡くなりになられたとの事。地震が起きて津波が来るまで30分。私たちが詞の場にいたら逃げるという判断が出来たのだろうか。「まさか津波が来るなんて・・・」多くの被災者がそう思っていたと思います。生死の境目はちょっとした判断で決まってしまう事に恐ろしさを覚えました。


4月21日(木) 現地3日目(ボランティア2日目) 亘理町にて活動

ボランティア2日目は、自衛隊・消防隊・警察が作業をする、許可がないと入れない場所での活動でした。伺ったお宅は1階は天井まで冠水、構造的に倒壊の恐れはないとの事でしたが、建て直すそうです。屋内の家財や家具の引き出し、必要な物の仕分けのお手伝いをしました。1階の家財道具を全て出して、ご家族の方にいる物いらない物の仕分けをしてもらい、いるものは一時保管場所へ移動する為、トラックへ。下記写真の家の前にある山は要らないもの。というより、諦めざるを得なかった物です。仕分けした荷物はトラックに載せ、保管場所へと移動します。依頼者のお母さんはとても明るく振舞われていました。津波が来た時は、家族全員で2階へ避難。家の周りに船や車が流されるのを見たそうです。何度かヘリが上空を通過したのですが、気づかれず3日目にしてようやく動いている所を発見され、救助されたそうです。何よりお腹が減ってしかたなかったとの事。

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家の前には要らないと判断した物が              仕分けした荷物を保管場所へ

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1階長押上まで海水が浸水した                電柱が破壊されています

4月22日(金) 現地4日目(ボランティア3日目) 亘理町にて活動

2-8.jpg亘理町にて2班に分かれて現場作業を行いました。1つの班は、床下での作業を行いました。まだ築年数の浅いお宅です。津波は和室押入れほどまで浸水した様子がありました。既に4日間ボランティア活動を行っているお宅で、今日が5日目でした。今尚、床下に20cmほど海水とヘドロが詰まっており、ポンプで排水してから床組みを水拭きし、殺菌消毒・消石灰散布をしました。作業的には一番きつい現場でしたが、得意分野である床下の作業をしたという充実感と5日間かけて依頼された作業を完了できたという達成感を味わうことができました。奥様から涙を流しながら「ありがとう」と何度も何度も感謝の言葉をいただき、微力ながら力になれたことを嬉しく思いました。


もう1班は、海岸から1kmほどの地区で、近所の家もかなり流され数十名の方が亡くなられた地区でした。工務店を経営されているお宅での作業でした。住居は津波の被害を受けながらもしっかり残っていますが、資材関係は小屋ごと流されてしまったとの事。津波で浸水した建物内部の掃除や写真拭き、付近の田んぼ内に散乱した資材の改修を行いました。休憩中に、ご主人から「頑張れと言われても頑張れんはな。」との言葉も。その言葉に返す言葉がありませんでした。しかし、親戚の方や奥様と話しているうちに笑顔がこぼれたので、ほっとしました。こちらが勇気づけられました。ご夫婦は震災当日、たまたま選挙の準備に行っており難を逃れたそうです。この近隣ではまだ行方不明の方がいるそうです。車で避難中に津波に流され、近所の方がご遺体で見つかったが、まだ3名の方が行方不明との事。その現場は、今、ボランティア活動をしているこの地域なのです。早く見つけてあげたい。ご主人と一緒に行方不明になったと思われる場所を少し捜したそうですが、そう簡単にはみつかりません。こういった現状に胸がしめつけられたと言います。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

現地では、毎日しかも深夜に地震が起きています。ボランティア活動中はほとんど眠れませんでした。まだまだ被災地では手助けを必要としてくれる方がたくさんいます。被災地域は高齢の方が多く、住人の方だけでは復旧作業が難しいです。完全に復興するまでには数年かかると思います。今回、現地へ行かせていただき、「瞬間」の力も大事ですが「継続」する事はもっと大事だと改めて感じました。そして各地から集まっているボランティアには感動しました。名古屋から夜行バスに乗り1人で来たという女性や、上司に愚痴を言われながらも会社を休んで来た若者。定年退職したけど、体は動くからと元気に作業するおじさん。日本というチームのために!という日本人としての一体感を感じました。現地では既に明るい未来に向けて歩み始めています。そんな現地の方々から逆にたくさんのパワーを頂きました。

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「日本は1つに」応援メッセージ                第2陣ボランティアメンバー集合!

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東日本大震災 :東日本大震災(2011.3.11):第1弾 岩沼市ボランティア活動レポート(4月6日~10日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。

4月6日(水)~10日(日) 5日間

【災害ボランティア概要】 日程:4月6日(水)~10日(日)  場所:宮城県岩沼市・亘理町  人数:8名


4月6日から5日間、アイジーコンサルティングの社員8名が、第1陣として被災地でのボランティア活動に参加しました。4月6日の朝8時半、宮城県岩沼市に向けて本社である浜松を出発。片道600kmを車で移動。東北道に入ると自衛隊や警察車両が多くなり、震災の現場に向かっているんだという実感が沸いてきました。到着したのは午後5時半頃、9時間かかりました。宮城県岩沼市のボランティアセンターに登録し、2日目からボランティアに参加させていただくことに。現地でまず目の当たりにしたのが、被害の凄まじさでした。

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岩沼市海岸付近

4月7日(木) 現地2日目(ボランティア初日) 岩沼市にて活動

1-3.jpg朝8時過ぎにボランティアセンターに。その後、ボランティアの手伝いを希望するお宅に向かいました。作業は、午前2時間、午後2時間の計4時間です。午前中は、仙台からきた若いお母さんと中学生の娘さんと一緒に、全員でビニールハウスの泥のかき出しを行いました。こちらの農家のお宅は、1メートル位の高さまで津波がきたそうです。ビニールハウスの中には津波の汚泥や流れてきたゴミが山積みでした。6人で約2時間腕が棒になるほど泥をかき出しました。おじいちゃんおばあちゃんの二人では到底やりつくせないほどの量でしたので、終わったときには達成感がありました。何より、たった2時間のボランティアでとても感謝してもらえたことが強く印象に残りました。


1-4.jpg午後のお宅は岩沼の海岸にほど近いお宅で、津波は2メートル以上の高さまできたそうです。一階部分は鴨居まで津波の跡が残っていて、汚泥や流れてきたゴミなどで一杯でした。地元の高校生2名との作業でした。地元の高校生は震災の影響で学校が休みとなっているので毎日ボランティアに来ていると言っていました。午後は家屋内に侵入してきた汚泥の掻き出しと、津波に浸かった家具や畳などの搬出作業が主な仕事でした。こちらのお宅でもただひたすら作業をしているうちにあっという間に時間が来てしまいました。こちらのお宅のお父さんは津波で2階に一人取り残されて、なんと6日間も2階にいたそうです。それでも、家に残らず車で逃げ出していたら津波にさらわれてたのでよかったとおっしゃっていました。車で移動していて津波にさらわれた人がたくさんいたそうです。近隣は流された車がそこかしこに転がっていました。こちらのお宅のお父さんは一人暮らしで今は避難所で生活しているそうで、一人ではとても片付けられないとおっしゃっていました。必要とされ役に立ち感謝されて私たちも来た甲斐がありました。 1日作業をしてみた感想は、予想以上に大変な作業でした。1現場を2時間に限定している理由が分かりました。そして、気温も高く作業中は汗だくでした。それにしても地元のボランティアの方々には頭が下がりました。仙台からきたお母さんと中学生の娘さんも一生懸命働いていました。地元の高校生も必死に泥の掻き出しをしていました。私たちも負けていられません。


4月8日(金) 現地3日目(ボランティア2日目) 岩沼市にて活動

前夜に宮城県で大きな地震があった事と天候が雨だったため、ボランティア参加者が少なく、ボランティアを中止する地域もありました。午前中は屋外の駐車場と離れの泥の掻き出し作業を、大学生の女の子2人と一緒に、午後は農家のお宅のハウスの周囲の泥の撤去と作業場の片付けを高校生の女の子2名と地元の大学生1名と一緒に行いました。こちらの農家ではブランド米を東京の企業に出荷しているそうです。震災後も蔵にあった米は津波の被害をまぬかれたそうですが、原発の風評被害で契約がすべてキャンセルになってしまったそうです。こういった風評被害で苦しむ農家の作物を購買することもひとつの支援のあり方だと思いました。

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駐車場の泥だし、漂流物の片付け              離れの泥だし

4月9日(金) 現地4日目(ボランティア3日目) 亘理町にて活動

亘理町にて現場作業を行いました。内容は、屋内の家屋の片づけや畳の汚泥の撤去、屋外のワラやゴミの片づけが主でした。床をめくって床下の汚泥の掻き出しも行いました。普段床下調査で1人で持ち上げることに慣れている畳は、水を吸って非常に重く泥で手がすべり、大人が4人がかりで外へ運ぶなど、想像以上に重労働でした。

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亘理町ボランティアセンター

4月10日(土) 現地5日目 被害状況確認と移動

最終日は移動日でしたが被害の状況をこの目で見たく、朝早めに起きてメンバー全員で岩沼市から仙台空港、名取市の被害状況を見てきました。海岸に近い所では危険な建物も多く、人が入れるような状況ではありませんでした。震災から1ヶ月経った今も、自衛隊や消防、警察官による捜索活動、流木や家財、壊れてしまった家の片付けが行われていました。(被災された方にとっても大切な財産だったと思うと「瓦礫」という言葉はとても使えません。)その後は被害を食い止め、この道路に避難して多くの方が助かったという仙台東部道路から、東北道、首都高速、東名と600kmの道のりを帰ってきました。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

今回の活動では、人の温かさや強さや、行動をすれば必ず前へ前へ進んでいくことを実感じました。多数のボランティア志願者は全国各地から来ていました。一番印象に残っているのは、お伺いした1件のお宅で休憩中に皆の中心で2歳の男の子が、無邪気な笑顔で遊んでいる姿を見て、全員が疲労の表情から笑顔に変わった。子供の笑顔は回りに不思議な力を与えてくれました。そしておばあちゃんが、2歳のお孫さんに向かって、『このご恩を大きくなったら返さなきゃいけないよ』と何度も何度も言い続けていたこと。明るい未来に向かって進んでいく希望の光。その反面この未来を背負って立つ子供達の多くも犠牲になったことを考えると涙がこみ上げて来ました。私たちも7日の夜に震度6の余震を経験しました。身を守ることが精一杯でなにもできませんでした。3月11日の大震災は、この比ではない恐怖だと思うと、胸が締め付けられます。まだまだ被災地ではボランティアの数も不足しています。自分たちの目で見たこと感じたことを出来るだけ伝え、復興が完了するその日まで、私たちにできることをし続けたいと思います。自分たちに出来る事を今一度考えこれからも行動していきます。

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